2011年03月19日

心の帰るところ(タイトル変えて、ちょっと加筆)

昨日は、うちの子・お姉ちゃんの小学校の卒業式でしたビル
実に、和やかに、(多分)例年通りの卒業式。
式の後、校門に向かう卒業生を保護者が見送るのですが、私は、入学した時にクラス写真を撮影した辺りで見送りました。「ここで写真を撮ったのが、つい昨日のよう…」と思いつつ。
そう思いながらも、長かったのか短かったのか、色々な事があった6年間でしたが。

ただ、どこか喜びや感動に浸りきれない感もありました。
やはり、被災したお子さんたちのことを思うと、胸が痛みますもうやだ〜(悲しい顔)

地震・津波から1週間以上が過ぎても、まだ、何もかもが混沌としている状態。
少しずつ、救済活動・支援活動も形になってきているけど、被害も拡大しているように思います。

24時間、そのことばかりは考えていられないけれど、1日に何度も色々な情報を目にし、涙をこぼしています。
子供とは、中学校の事や趣味の話、本の話等楽しい話もしています。
なんだかしっかりしないと、ちょっと精神状態がバラバラになってしまいそうな気がします。(珍しく、少し弱気^^;)

昨日、銀行に行って帰りにスーパーに寄ったら、市の社会福祉協議会が義援金を呼びかけていました。
私は銀行で、子供の中学の制服の支払いの為のお金を下ろしたところ、残高が…がく〜(落胆した顔)だったので、申し訳ないけれど、今ここでは募金できないと、スルーさせて頂きました。
モチロン私は、幾つかの窓口を通して募金するつもりでいて、決して全くする気が無い訳ではありません。
それでも、やっぱり何だか、後ろめたい感じが伴ってしまいます。

元気な人が元気をなくしてはいけない。
頭ではそう思っていながら、何となく、なすすべの無い無力感を感じてしまう瞬間が何度か襲ってきます。

そして、いくつかの御言葉が、頭と心をよぎります。

例えば「あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。(ヨハネの福音書14:1)」
例えば「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。(Tテサロニケ5:16〜18)」
例えば「恐れるな。わたしはあなたとともにいる。たじろぐな。わたしがあなたの神だから。わたしはあなたを強め、あなたを助け、わたしの義の右の手で、あなたを守る。(イザヤ41:10)」等々…。

「ああ、そうだ、私ひとりが心を騒がせて何になるだろう。今は、自分のおかれた立場に感謝し、ひたすら主により頼み、祈ろう†m(--)」
何度も、同じところをぐるぐる回っては、そこに帰りついています黒ハート

そして私は、また元気になるのですp(^^)q

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posted by kyoufumi at 17:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 聖書・御言葉 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月09日

「今日、受け取った御言葉」

キリスト教関連の本を探しに行く時はもちろん、人にプレゼントを探す時や、ちょっとしたグッズが欲しい時など、いのちのことば社直営店・ゴスペルショップ“オアシス梅田店”さんに行きます。
今日も、妹がちょっと用があるというので一緒に行きましたダッシュ(走り出すさま)
ちょっと目に付いた本を買いました本
本のことはちゃんと読んでからまた書きます。
私が今日ここで書きたいのは、オアシス梅田店で本を買うと、裏にショップの案内が入った。御言葉の栞がおまけについてきますプレゼント
もちろん、おまけですからそんなに上等なものではありません。文庫本を買うと、よく中に出版社の栞がはさんでありますが、あんなようなものです。
でも、表のみ言葉のところには花のイラストが入っていてきれいですし、御言葉も大きくてはっきりと書いてありとても見やすいのですぴかぴか(新しい)
そして、何種類もあって、貰うたびに違うのがもらえたりして、結構嬉しいですグッド(上向き矢印)
今日いただいた栞には、
『いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことについて感謝しなさい。』
Tテサロニケ5:16〜18

とありました。
しかも、偶々なんですがピタッと重なっていたせいか、2枚入っていました手(チョキ)
何だか神様から「いつもより、2倍喜び、2倍祈り、2倍感謝しなさい」と言われているような気がしました。
この御言葉は、色々なグッズにもよく入っていて【御言葉の定番】っぽいところがあるように思いますが、よく考えると、この3つをバランスよく守ると言うのは、現実的にはなかなか難しいですよねexclamation&question
人間はすぐ不平・不満を言ってしまいます。
私の場合、真ん中の「絶えず祈りなさい。」と言う、これが1番難しいですふらふら
前は、食事の時の祈りもなかなかできなかったのですが、何とかそれはできるようになりました。
折に触れて祈ることもできるようになってきました。
でも“絶えず”祈ることはなかなかできません。
神様はなかなかできないことだからこそ「しなさい。」と仰っているのでしょうねexclamation&question
まずは「ハイ」と答えることから始めたいと…思って…います(^^;

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posted by kyoufumi at 23:57| Comment(2) | TrackBack(0) | 聖書・御言葉 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月05日

小説の中の聖書(キリスト教)

このブログを読んでくださっている方々の中で《アン・ブックス(赤毛のアンシリーズ)》を読まれた方はどれくらいいらっしゃるでしょう?
妹と私は、この《アン・ブックス》の作者“L・M・モンゴメリ”の小説が好きで、でも、微妙に好きなシリーズが違ったりして、2人の持っている本を合わせると、モンゴメリの作品がかなり揃うと言った感じですわーい(嬉しい顔)
ご存知の方も多いと思いますが、このL・M・モンゴメリは、後年、牧師夫人となる(『赤毛のアン』を書いた時は婚約中)人で、作中にも、神様の事、お祈りのこと、教会の事、聖書の事など等、クリスチャン色がかなり出ていると思います。

そして、私が、聖書の中の言葉、いわゆる《御言葉》を意識したのがこのアン・ブックスの中の『アンの夢の家』の中に出てくる箇所です。
村岡花子さんの訳では「汝真実を知れば真実が汝を自由の身とするなり」となっていますが、私の持っている新改訳の聖書では「あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。」(ヨハネの福音書8:32)となっています。
特に、聖書的・信仰的に語られているのではなく、私にとっては、ただ、日常的に、作中人物にとって聖書が身近な生活と密着したものであるのがよくわかった、と言う程度の受け止め方でした。
ただ、この御言葉が物語のとても重要なポイントで引用されていたので、頭の隅にとても印象的に残っていました。
ずっと後になって、聖書の中にこの言葉を見つけた時に「これやexclamation×2」とワケもなく感動したものです(^^;

これも、先日書いた、種まきの一つなのだと、漠然とは、わかっていても、はっきりとわかったのは最近になってからのことです。
本当に「まぁ、何を今更exclamation&question」と思われる方もいらっしゃると思いますが…ふらふら

この、モンゴメリの作品やその他の方の小説にも、いたるところに色々な種まきがしてあるので、私が気がついたものを、また折に触れて、ご紹介して行きたいと思いますひらめき

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posted by kyoufumi at 23:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 聖書・御言葉 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月15日

合同婦人の集い

昨日、わたしが通っている忍ヶ丘キリスト教会で第28回日本アドベント・キリスト教団『合同婦人の集い』がありました。
今まで、色々な教会のイベントや集会に呼んで頂いて福音落語を演らせて頂くことはありましたが、こういった集いに参加したことはほとんどありませんでした。
この集いの会場は、各教会で回り持ちになっているようなのですが、今回偶々忍ヶ丘が会場になっていたこともあり、自然と参加しようと言う気になり足を運んでみました。

講師の先生は、現在和歌山の丸の内教会でだんな様と牧師をしておられる、三枝育代師で、とても74歳とは思えない素敵な先生でしたぴかぴか(新しい)
メッセージも、とてもわかりやすく、とても恵まれましたわーい(嬉しい顔)

その、メッセージの中で『ピリピ人への手紙1:12』を引用されたのですが、その箇所を読んだ時、ふと父のことが頭に浮かびました。

「さて兄弟たち。わたしの身に起こったことが、かえって福音を前進させることになったのを知ってもらいたいと思います。」
この「わたしの身に起こったこと」と言うのは、パウロ様が捕まえられ投獄されたことですが、つまりそのことによって、余計に福音が広がり、強まる結果になった、ということです。

それが(本当はぜんぜん違うのかもしれませんが)父が亡くなり、クリスチャンだったということが各新聞等に載り、また召天記念式を行うことになり、まるで伝道集会のような記念式に約600人もの方がご参列くださったということが、父の身に起こったこと【死】が、結果的に大勢の人に神様のことを知って頂くきっかけになったことが、この聖書箇所を読んだ時に、何故か重なったのです。
父の召天記念式に関しては、本当に、多くの(未信者の)方々が「感動したexclamation×2」とおっしゃってくださっているようです。
また何人かの方が「キリスト教では【死ぬ】と言うことは、神様の元へ行って永遠の命を得ることらしい」等のことを、メディアで発言されるなど、本当に恵み深いものになったようで、感謝以外の何ものでもありませんexclamation×2

話が少しずれましたが、これからも、少しでも成長できるように、このような集いにできるだけ積極的に参加していこう手(グー)と思いましたわーい(嬉しい顔)
posted by kyoufumi at 23:57| Comment(4) | 聖書・御言葉 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする